鹿児島市内を観光し、念願の西郷さんに会ってきました(^^)

鹿児島観光へ

西郷さんの銅像に会いに行く

2008年4月26日。6時起床。お風呂に入って身支度を整える。

7時過ぎに鹿児島市内の観光に出かける。外は穏やかな青空が広がっている。少しひんやりとした朝の空気が、肌に心地よい。アーケードなどには「篤姫」宣伝のポスターがたくさん張ってある。

ホテルでもらった観光地図を頼りに、真っ先に向かったのは西郷さんのところ!!西郷さんに会わないと鹿児島にきた甲斐がないと思ったので、早速向かった。

鹿児島観光

ホテルから歩いて約15分。堂々とした立ち姿。威厳のある表情。西郷さんの銅像を目の前にしたら、ついつい拝みたくなってしまった(-人-)

鹿児島交通

長い間鹿児島市内を見守りつづけている西郷さん。明治維新の立役者としての存在感は、今も確実に残っている感じがする。

鹿児島県

池があり、鯉が優雅に泳いでいる。すぐ近くの照国神社へ。

鹿児島市内
篤姫

この神社の御祭神は、日本を強く豊かな国にするために積極的に西洋の科学技術の導入に尽くされたそうです。

鹿児島宿泊

当時の日本は、ペリーの黒船来航以来、国力を上げる必要に迫られていましたからね。ここの鳥居が素晴らしい。堂々とした門構えで、鹿児島市内でも一際目立つ。

屋久島観光

照国神社の中には、写真のように歴史が記された写真がたくさんある。当時から薩摩藩は、一歩先行く政策を取っていたんだね。

屋久島旅行

参考までに戊辰戦争について。


戊辰之役とは慶応4年(1868年)1月、京都、鳥羽伏見で薩摩長州両藩が、徳川幕府討伐の戦端を開き、翌年5月函館五稜郭の幕府軍を降した戦いです。

これによって明治新政府誕生の基が固まり、わが国は近代的な統一国家となり、植民地化を防ぎ、独立が守られました。

当時の日本は、黒船来航以来、西欧列強の脅威にさらされ、国内では封建制度が行き詰まって、内外ともに混乱していました。

第15代将軍徳川慶喜が大政を奉還し、新しい政治体制が求められる中で、公武合体派が漸進的改革を主張したのに対し、中途半端な妥協では封建制度は打破できないと薩長両藩は断固として討幕を進めました。

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